川を渡りたい人

塾の講師や家庭教師が生徒様に対してどのように接するか。
生徒様に与える影響は大きいものになっていると思っています。
その際に気を付けたいと思っている事があります。

根幹にある考え

このお話しをまとめていく際に触れておかなければならない考えが2つあります。

  1. 問題を解決する力
  2. 失敗か経験か決めるのは自分

それぞれ少し解説したいと思います。

問題を解決する力

ここでいう「問題」は科目の試験の問題ではありません。
何かしらの「出来事」や「状態」の事です。

例えば
「川を渡りたいけど渡る方法が無い」
のような問題です。
こういう問題を「自分」で解決できるかどうか

中には、
「受験に合格できるのか」
「提出物の期限に間に合わない」
という科目の試験の問題に直結するような問題もあるかもしれませんが。

問題の解決にはある程度決まった「型」があります。
そういうものを経験し蓄積して力をつけていってもらいたいんです。
言葉で色々まとめる事もできる部分もあるでしょう。
しかし、自分で経験して得たものと字面で読んだ知識とでは雲泥の差です。

生徒様との接し方で経験値を積む機会に差ができると思っています。

失敗か経験か決めるのは自分

何か出来事があった場合、それをどうとらえるかは割と自由です。

「川を渡りたいけど渡る方法が無い」
場合それをどうとらえるか。

「誰も川を渡る方法を教えてくれなかった」
「川に橋が架かっていないのはおかしい」
「少し入ってみたけど膝より深くなりこれ以上進めない」
と捉える人もいれば、
「川を渡る方法を見つければ、それを教えたら商売になるぞ」
「川を渡る方法を見つければ、みんなに喜んでもらえるぞ」
「新しい能力や技術が生まれる!ありがとう、川!」
と捉える人もいるかもしれません。

前者の人は川を渡れません
後者の人はやがて川を渡れるでしょう

せっかくなので、わかりやすい例えをすると
高校受験で不合格だった
という出来事ではどうでしょうか。

「夢に続く道が途絶えてしまった。もう何もする気になれない。」
「頑張っても私には無理なんだな。」
「言われた通り毎日3時間勉強してきたのに無駄になった。あいつのせいだ。」
と捉える人もいれば、
「準備する時期が遅すぎた。次は早めに準備を始めよう。」
「受験の研究が不足していた。誰かに教えてもらえる環境を作るべきだった。」
「数学が面白すぎて英語を怠ってしまった。全体の総合点数を上げるためには英語をやらなければいけない。」
と捉える人もいるかもしれません。
その瞬間でどうこうは難しいかもしれませんが。

ちなみに後者は「問題解決の型」を使ったコメントにしています。
何が発端かわかりますでしょうか?
このような考え方をできる方はどんどん成長してしまうと思います。

どう接するか

「問題を解決する力」が養われるような接し方が必要だと思っています。
良い事も悪い事も、色々な出来事を経験し、そこから学べる環境を作ってもらいたいと考えています。

イメージとしては、
「川を渡りたいけど渡る方法が無い」
という人に
「橋を架ける」
事は私はしたくないんですね。

「泳ぎ方を教える」
「橋の作り方を教える」
これも少し違うんです。

「向こう側に渡りたい」
気持ちを強く持ってもらうことから始まります。

水の上をどう進むか考えだしますよね。
「水中、水上を進む仕組み作る方法」
「川の上の空間を渡れるような仕組み作る方法」
と、渡る方法を一緒に考えていきたいです。

「人力で渡ってみたい」
と思ったら、泳ぎ方を調べたり、開発してもらいたい
「橋を作ればいいんじゃないか」
「船を作ればいいんじゃないか」
「飛行機を作ればいいんじゃないか」
と思ったら、橋の架け方、船の作り方、飛行機の作り方を調べてもらいたい
「船が浮くのかどうかがわからない」
という場合、浮力の計算式を教える事ができるかもしれません。
このとき業者さんに作ってもらう方法もありだと思います。

そんな接し方が理想だと思っています。

自分で考える事

押し付けても意味が無いと思っています。
「川を渡りたいけど渡る方法が無い」
という人に
「泳ぎなさい」
といって泳げる程単純ではないですよね。
また、泳ぐ以外の方法に気が付けなくなるかもしれません。
船を発明する機会を奪ってしまったかもしれません

渡りたいって本気で思ったら何かしらどう渡ろうか案が出るものですよね。

材料を提供する事

「自分で考える」
とはいえ、知識が無いとアイデアって生まれにくいです。
またアイデアが生まれても知識が無いと行動に移せません。
知識という材料は提供したいと思っています。

この出し方が中々難しいと思っています。
出しすぎると成長にならず、出さなくても手が付けられない。

気付きを与える事

やろうとしている事が私の目から見て難しそうなときがあります。
でも「それは無理だよ」とはあまり言いたくない。
ただ影響の大きさで「提案」します。

「川を渡りたいけど渡る方法が無い」
という人がいきなり泳ぎ出したら怖すぎます。
「川には流れがあるけど、そのことは考慮に入れた?」
「ロープで結んでおけば溺れたときに救えるかもしれない」
こういう事は提案したいと思っています。

自立型と依存型

この接し方で
「川を渡りたいけど渡る方法が無い」
という人に
「橋を架ける」
いつまでも自分で川を渡ることができませんよね。

でも塾の講師や家庭教師が生徒様に対してこういう接し方になってしまっている事もあります。
理由は「時間がかかる」事でしょう。
「受験までに何とかしないといけない」とどうしても思います。
そのため「時間が掛からない」方法を考えてしまいます。

渡りたい気持ちを醸成し、渡る方法を考え、渡り始める。
それにはそこそこ時間が掛かるものです。
でもこれをしていかないと、いつまでたっても渡れないんですよね。
いずれ橋を架ける人はいなくなるんです。
その時が来てしまうことまで考えて接していかなければならないと思います。

私たちは教育者です。
自分の力で川を渡れる人になってもらうための接し方が必要だと、私は思っています。

いつまでも頼らせない

私は自立できたら塾や家庭教師に頼る必要はないと思っています。
科目が好きでどんどん勉強したいと思って頂けている場合はまた別ですけどね。

それもあって塾や家庭教師を受験学年だけ「依存」する使い方は私は疑問なんですね。
もちろん力の限りご支援させていただきますが。
もっと違った使い方が理想だと思っています。
自立型人材になって問題を解決する能力があれば学校の授業と家庭学習で高い学力をキープする事はできると思っています。
どうせなら早い時期に自立型人材を目指し、そういう状態を維持できる方が、経済的にもその生徒様の成長的にも「お得」だと思います。

早い段階で自立型人材に気付き、塾を卒業できる事を願っています。
参考:塾の役割をどう考えているか
参考:自立型人材

終わりに

講師をやっているような方は「生徒が好き」なんですよね。
そのため些細な事でも失敗してほしく無いとか、頼って欲しいという思いで、橋を架けるタイプの方が多いと感じています。
そして中々それに気付きにくい。
もちろん私のような考えの方も沢山おられるとは思うのですが。

講師の「科目をわかりやすく教える能力」や「話しやすさ」や「合格実績」も重要かもしれません。
ただ、それ以外の本質的な教育に関するこういった要素も塾や家庭教師をご検討の際は考慮されたほうが良いかなと思います。
どちらが良いかはそれぞれ良し悪しがあると思いますので。

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