参考になればと思い、ありのままを共有したいと思います。
首席をとるために必要だったもの
まず私の通った高専ですが、現在は偏差値60代前半程度となっていますが、当時もその位だったかもしれません。
首席で入学して、そのまま首席を維持し、首席で卒業しました。
なお、科が5科ありますが、機械工学科での話で、他の科の成績はわかりません。
また、中学校では首席ではありませんでした。
公立の中学校にしては、偏差値高めの中学校だったんだと思います。
小学生や中学生の頃、何か特殊な勉強をしていたわけではありません。
当たり前のように授業を聞き、宿題をし、試験前に勉強をする、という事はしていました。
塾に通い出したのは中学3年生になってからだったと思います。
私が明らかに違っていたと感じる部分があります。
それは「先生を信頼していた事」です。
先生を信頼する事
何故先生を信頼する事で首席になる事が出来たのか。
まずは授業の内容が理解できるという事です。
あらゆる授業で先生が質問するタイミングで挙手していました。
常に授業の内容を理解していました。
これは先生を信頼し、先生の話を集中して聞いていたからだと思います。
挙手して発表して正解すれば褒められ、正解でなくても褒められ、更に解説してもらえる。
発表しない手はありません。
次に私が先生を信頼しているので、先生が私を信頼してくれるという事です。
これは返報性の原理で、当時はそんな事意識してやっていたわけではありません。
※そもそも意識してやっても、本当の意味で信頼できていなければ意味がないのですが
「篤行善行少年」という名目だったと思いますが、「善い行いをしている道徳的に優れた生徒」が警察署から表彰されるという機会が中学生の間に1度だけありました。
職員会議で学年の先生方で生徒を決める様ですが、満場一致で私を指名してくださったそうです。
それが首席と関係あるわけではありませんが、信頼しあえる事でますます授業が頭に入ってきます。
これは視点を変えると別の利点も見ることができます。
「先生の話をなんでもよく聞いている私がわかっていない」
ということは、先生にとって、
「自分の説明が不足している部分がある裏返し」
と捉えます。
すると、私がわかるまで説明してくれました。
集団授業でありながら、家庭教師でみて頂いているような感覚です。
ちなみに私はこれは贔屓だと思っていません。
信頼すれば誰でも信頼し返してくれます。
いつからそのような状態だったか
記憶は確かではありません。
小学校3~4年生の頃には既にそのような状態だったと思います。
その頃から先生の言うことを当たり前のように信じ、学ぶことができました。
嘘をついて宿題を誤魔化したりしたことも一度もありません。
むしろ夏休み前に夏休みの宿題を全部終わらせる位、自主的に取り組んでいました。
そしてこれは突然やれと言ってできるものではありません。
小さい頃から先生という存在を認めていた両親あってのものだと思います。
今もなお
対象が先生という限定の立場の方だけでなく、あらゆる人になりました。
相手を敬える気持ちは今でも持てていると思っています。
その結果もあって、周りの方はとてもよくしてくださいます。
まさに夢を叶える力の1つだと感じています。
首席だったことによる影響
首席だったから何かあったかというと、入学時に新入生代表で挨拶させて頂いたことと、卒業時にメダルと記念品を頂いたことくらいです。
ただ、内面的な影響はそれなりにあったと思います。
なにもこの出来事だけで何かが変わるわけではありませんが、自信を持てる1つの材料になっていると思います。
同級生にわからない部分を教える事で感謝してもらえた記憶等も自己肯定感につながったと思います。
そして、ずっと首席であり続けたいという向上心を持つことができ、それを達成できた事はさらなる自信と自己肯定感につながったと思います。
勉強は自己肯定感を高めるために最も簡単な手段であると、私は思っています。
そんな良い影響があることを知っているので、特典C(特待生)の目標として首席を掲げさせていただいております。