「子供が嫌っている食材も、成長のために食べて欲しい」
そう思う気持ちが子供に伝わることは難しく、頑張って奮闘されているかと思います。
「こうすれば食べるよ!」という情報ではなく、気を付けてもらいたいと思う事を少し述べたいと思います。
今回は「にんじん」に悪役になっていただきます。
でも「にんじん」はおいしいですよ。
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好きな料理に混ぜ込む
定番で基本的には有りだと思うんです。
「ハンバーグににんじんを細かく刻んで入れてみたけど食べてみない?全然感じないよ?」
信頼関係があれば「食べてみようかな?」って思ってくれるかもしれないですよね。
しかし、「きっとそれじゃ食べないだろう」と子供を信じることができず、何も言わずにこっそり混ぜ込んで、後から、
「にんじん入ってたんだよ?食べられるじゃん」
は私は良くないと思っています。
だますのは良くない
子供をだましていますよね?
だまされたら良い気はしないので、私だったら余計食べたくなくなりますね。
更に「誰かに自分がしてほしいことをしてもらう」という、とても難しく、その人間性が現れる部分で、
「だます」
という選択肢を覚えてしまいます。
今日はこの「だます」という事をしてほしくなくて記事にしました。
(余談)信じるという事
「信じる」という動詞、私にとってとても意味深いのです。
「信じている」場合、「信じる」ということをあえてしなくても信じてますよね。
「信じなきゃ」って思うという事は、「信じることができていない」という事になりますよね。
「信じていない」から、「信じられない」から、「信じる」必要がある。
とても意味深いのです。
野菜そのものを好きになる
自分で作ったものを食べるとおいしいですよね。
野菜そのものに愛着が湧いているからだと思います。
子供もきっと同じなんじゃないですかね?
比較的好まれている野菜の「イモ掘り」とかだけじゃなく、「にんじん掘り」「ピーマン採集」なんてどうでしょうか?
もちろん「ピーマン」もおいしいですよ。
そういう努力が伝わるはず
「野菜を食べなさい」で食べるようになるほど、人を動かすのは単純ではないと思っています。
「勉強しなさい」で勉強するようになるというのも、まったく同じです。
北風と太陽です。
野菜というものがあなたにとって大切なんだという話を伝えているうえで、
色々な工夫をして食べれるようになってほしいという思いは、
きっと子供に伝わるんじゃないかなと思います。
人間が毒だと感じる苦みの強い状態で食べてしまって苦手になってしまうかもしれません。
成長するにつれて苦みを感じにくくなると思いますし、料理を提供する際の工夫によって
「自分のためにこんなに頑張っている、ちょっとは食べてみようかな」
⇒「あれ、おいしい」
ってなってくれると、信じています。
だって、おいしい野菜っておいしいですもん。
本当に今食べないといけないのか
これは私が思っている疑問です。
私は専門家ではないので、必要な栄養のご説明はできません。
本当に一部のものしか食べていないような場合は、専門家にご相談されるのが良いとは思います。
野菜の栄養が必要なのか
もともと生まれたばかりの時期って野菜食べないですよね?
でも育ってます。
必要な栄養は体が欲すると思います。
野菜嫌いな方々もご立派に成長されていますよね。
いずれ食べれるようになる
私はもともと「茄子」が嫌いでした。
でも今はむしろ大好きです。
大学の友人が「麻婆茄子」を作ってくれたんですね。
あまりにおいしくて、作り方を聞いて自分でも作れるようになりました。
「オイスターソース」とか普段使わない食材を買ってまで作ってました。
子供のうちは食べれなくても、成長して食べれるようになることって多いと思います。
それでも嫌いなものも残ると思いますけど、それで困ったことは私は無いですね。
むしろ食べない方がいいものを知ることの方が重要では
おいしく感じるように「添加物」が使われます。
すごく悪いイメージがありますが、実際のところよくわかりません。
でも、そういった「添加物」を多く摂取してしまうのは、やはり危険なのかなと思います。
直ちに影響が出るわけではないことは、色々な検査で実証されているはずです。
しかし、人間の歴史の中で比較的安全であるということが実証されているわけではないでしょう。
自然のものをおいしく頂けるように、おいしい「添加物」を知らないことは重要だと思います。
終わりに
元々野菜を食べさせたいわけじゃないんですよね。
子の成長を願って、野菜を食べてほしいというだけで。
近道のように見える「だます」という選択肢は取らないで、違う形で努力する姿勢をお子様に見せて頂きたいなと思います。
遠回りのようで大変だからこそ大切なんだと思います。